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foreign young wife and my blogged days in Tokyo

僕とコンピューター Amazon販売

僕が社会に出て就職したのは総合商社の機械部だった。NC機械やマテハン装置を担当した。
 
ある時、米国製のキャブレターの排気ガス規制調整マシンのセッティンングの為に来日したアメリカ人のミーティング通訳と機械の調整の手伝いをする機会があった。
 
納入する検査機は調整されるキャブに比べるととてつもなく大きい。その検査機回路の不調でセッテイングがうまくいかない。
彼は突然、引き出し式のモジュールを引き出して予備と交換した。
 
入社してから何回も自動車部品製造機械の納入試運転に立ち会ってきたのに、この引き出しが機械やコンピューターに興味を持った最初のできごとだ。
 
キーパンチャーがいる時代だった。その後実家の都合で退職してコンピューターとは無縁の仕事をしていたが、20年ほど前からコンピューター関連の仕事をするようになった。
 
電話回線を30以上引いて業界の会社のインターネット接続の仕事やプログラムを受注した。べっこうあめがコンシューマー向けの接続業者として有名になった時代だ。
 
商社にいたおかげで海外の情報にはそこそこ明るかった。
 
僕はロゲイン(リアップ)を30年近く前から使っている。最初はカナダから、次はベルギーやアメリカから購入して毎日使って髪を維持している。全て自分用だ。
 
僕の母方の祖父はつるっぱげだった。僕の髪の毛も黒いが細い柔らかい毛だったが今だに量を維持しているのはこのおかげだ。
 
別れた妻に米国のニーマン・マーカスの通信販売でドレスを贈ったことがある。ショックなことに米国から送られてきたドレスはMade in Hong Kongだった。
英国領香港の時代だがこれはショックだ。米国仕立てではない。
 
海外から通販カタログを取り寄せるにもまず手紙を書いて依頼する時代で、西武デパートがニーマン・マーカスとの販売提携をする数年前のことだったから何年前のことだろう。
 
海外に興味があるのでeBayからの購入も15年以上前からしている。
ヨーロッパやアジアもそこそこ長く行っていたので新しい妻にフィリピン人を選ぶのにも何の躊躇もなかった。
 
ヤフオクではかなりの数の品を販売したが、もちろん本業では無い。興味本位だが米国のeBayから仕入れて販売した品もある。まだハウツー本も無い頃で試行錯誤の連続だった。
 
Amazonには販売口座を持っていて、趣味の映画の絶版DVDも販売したことがある。それでも僕にとってはパソコン性能の検証みたいな趣味の延長だった。
 
コンピューター機器を納入してLAN管理をさせていただいている会社の商品をAmazonで販売することになった。今までと違って仕事としてだ。